ー 病みてより ー     


★ 病みてより笑うこと無き父なれどわが見舞う日を暦に記す

★ 口もとの淋しきを言い病む父は歯の無き口に飴を転がす

★ 病みてより酒絶ちし父の惜しむごと僅かな屠蘇を舌にまろばす

★ 父宛の僅かな賀状のおおかたは宣伝兼ねし店の名の付く

★ 麻痺したる父の手足の冷たかり長く伸びたる硬き爪切る

★ 文字太き暦選びて病室の父のベッドの壁に吊りたり

★ 麻痺の身の届く限りの位置におく父の暮らしの品のかずかず

★ 寝たきりの父の襁褓を取り替ゆる排泄物の色良きを言い

★ やがて来む別れの時を思いつつ熱き湯をもて父の背を拭く

★ 手のひらに伝わる父の張りの無き背なに塗り薬擦り込みてゆく

★ 足伸べて萎えし体を委ねたる父の肩幅小さくなりぬ

★ 段差多き家の造りは車椅子の父の僅かな自由を阻む

★ 黄の錠剤青きカプセル散薬と父の薬は十指に余る

★ 麻痺の父を支えて来たる車椅子の上に小さき餅を重ぬる

★ 父の咳ひとつ聞こえて静かなる元日もはや夕暮れとなる

★ 老い父の看取りのひと日暮れゆきぬ雨はいつしか雪に変わりて

★ ガラス越しに父のリハビリ見ておりぬ握る我手も汗に湿りて

★ 年若きナースに叱られ老い父は見舞いし我に声を荒ぐる

★ 言いつけを守らぬ父への不満言う若きナースに頭を下ぐる

★ 麻痺病みの父を看取れる老い母はベットの下にちさく眠れり

★ 鉛筆の丸き芯さき舌に舐め母は看護の日誌記せり

★ 病院の日毎の献立書き記す母のノートにカタカナ並ぶ

★ 眠られぬ夜の続くとひとつぶの薬頼りて眠れり母は

★ 老い母のネル地の寝巻きひとつ揺れ陰りし庭に冷たく乾く

★ 一人住む母のひと日の米とげば手応え軽く水に広がる

★ 手を振りて見送る母をミラーにて再び見たり角曲がる時

★ 白杖をつきて見送る母の顔ルームミラーの視野より消ゆる

★ 自らをおっちょこちょいと朗かにふるまう母の寝顔の淋し

★ 酸素吸入器のマスクの下に老い母は「早く帰れ」とわが事を案ず

★ 熱高き母にと氷求めゆく夜の病院の廊下は長し

★ 病床に深く眠れる母の手の節くれだちしを撫でて悲しも

★ わが母を何にもまして慕いたるおさげの頃の我のなつかし

★ 増築を重ねて大き病院の迷路のごとき廊下のつづく

★ 入院して主なき家の静もりに小屋の馬鈴薯長く芽を出す

★ 閉ざされて主なき家の茶の間より振り子時計の時を告げおり